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2009年11月 3日 (火)

辻輝子卒寿祝賀記念展報告

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仙台万華鏡美術館で行われている辻輝子卒寿祝賀陶芸作品展の報告をします。
オープニング前日にレセプションを致しまして、大勢の方にお集まりいただき、また、河北新報はじめメディアの取材もいただきまして、よい展示であったと言っていただき、とりあえずほっとしています。

作品解説をかねてこの企画展の説明ということでご挨拶させていただきましたので、それを掲載します。

企画のお手伝いをさせていただきました照木でございます。このような機会を与えていただきましたことを光栄に存じます。
今回は卒寿記念ということで、回顧展という形をとらせていただきましたが、改めて先生の70年に亘る偉業を振り返り、その業績の素晴らしさを再確認いたしました。
とくに色絵陶器の技法でございますが、日本の色絵陶器といえば、仁清、乾山を源流と致しますが、先生はその伝統の正統な継承者であると思うものです。

ご存知の通り、先生はお若い頃日本画を学ばれ、その後陶芸に入られましたが、絵付け技法の天賦の才能があったことを物語る作品として処女作の『ぶどう、えび』がございます。大森光彦先生に18歳で師事したいとお訪ねしたときに、「ではこれに描いてごらん」と言われて描かれたものだそうでございますが、大森先生も「俺よりうまいや」とおっしゃったそうです。
さらに『蓮華金彩白粉入れ』。これは19歳の時のお作品だそうですが、陶芸を初めて日の浅い頃のお作品とは思えないたしかな技法で、しかし十代の女性らしい瑞々しさにみちたものであると思います。

今回はテーブルセッティングを展示してございますが、これは10年ほど前に東京のウェスティンホテルでテーブルセッティングのコンテストのような催しがございまして、各国大使館の奥様や各界の有名人がしつらえたテーブルセッティングを見せるものでしたが、そこで先生のこれが1位に選ばれました。
北大路魯山人、岡本太郎、伊東深水、尾崎一雄の4人を招いて「江戸料理を楽しむ」という会の再現でございます。
と申しますのは、先生はお若い頃、こうした方々と交流がおありで、当時まだ貧しく無名であった彼らの面倒をよく見られた。私は先生を「美術工芸界のアイドルだった」と思っておりますが、いわばこの方たちはボーイフレンドだったわけです。

そうしたことから今回、岡本太郎、北大路魯山人、棟方志功の作品を出展いたしました。いずれも先生とのご交流のなかで、遺されたものでございます。
岡本太郎さんは先生の世田谷の工房というか窯場によく訪ねていらして、陶芸は先生から手ほどきされたわけで、後の『太陽の塔』に至る立体物の原点であったといえます。
棟方志功さんは、観音像を描かれるのに先生をモデルにしたいと何度か通っていらして、その際にやはり先生の手ほどきで作られたのが今回展示いたしました陶板でございます。北大路魯山人とは先生の方から鎌倉の魯山人の工房へ行くことが多かったのですが、「この鎌倉の工房を譲る」と言われたそうです。その直後の魯山人の死でそれは実現しなかったのですが、先生と魯山人の間に共通するプロデューサーとしての感覚など思いますと、実現に至らなかったのはとても残念に思います。

30歳を過ぎてからの先生のご活躍ぶりは皆さんよくご存知のことと思いますので、今回は本当にお若い頃の天才ぶりを改めてご紹介したいと存じました。

70歳を過ぎて打ちこまれた万華鏡に関しましては、日本で初めて陶芸で万華鏡を作られて、万華鏡を美術工芸品として確立された功績は大いに称えられるべきものと思います。今回初展示の万華鏡がいくつか出ておりますので、どうぞご覧くださいませ。

最後にこの企画展に当たりまして、美術館の若いスタッフたちが大変に努力し、一生懸命力を合わせてこの展覧会を実現させましたことを、ご報告申し上げます。まだまだ若い彼らでございます。未熟なところもございますが、これからさらに成長を遂げてくれるものと期待しておりますので、どうぞ温かくお見守りくださいますよう、私からもお願い申し上げます。
どうもありがとうございました。

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