« 2007年1月 | トップページ | 2007年3月 »

2007年2月25日 (日)

負け犬返上

今回は万華鏡とは関係のない話をします。
私は今、「負け犬返上」をテーマとした本を編集中です。
「負け犬」って、ご存知ですよね。エッセイストの酒井順子さんが、2003年に出された「負け犬の遠吠え」(講談社刊)という本で、30代以上、未婚、子ナシの女性のことを、酒井さんご自身もそうであることから、一種自虐的におっしゃったのが世の中に受け入れられて、以来、負け犬といえば、そう言う意味に使われることが多くなりました。
負け犬の定義の中には、仕事ができて、高学歴、収入も高い、どんなに美人であってもという意味も含まれているようでしたから、私は、というか世間一般は、負け犬達は今の状況に満足して、結婚など考えないのだろうと思っていたのです。
ところが、あるきっかけを機に、私はそうではないということに気付かされました。
仕事で知り合っていた友人、バリバリのキャリアウーマンで、帰国子女の大学院卒、時代の先取りをする美術の仕事に携わっていた方が、54歳にして結婚、それも「寿退社」をされたのです。しかも、ずーっとそれが夢だったというのを聞くにいたって、女性の本音というのは、どんな時代になっても変わらないのかもしれないと、思ったのです。
そう言えば、周囲でも50代ぐらいで結婚するカップルがけっこういて、再婚という場合もありますが、初婚もあり、「ふ-ん、結婚に年齢は関係ないんだ」と、思い始めていました。
それで、そんな本、すなわち「負け犬を返上した女たち」、いわば返上の仕方ですね、を出したら、という話がトントン拍子にまとまり、この春には発行の予定なのですが、ところでその本のタイトルに悩んでいるのです。
というのは、版元から「負け犬返上」とうたってしまうと、「負け犬」たちは恥ずかしくて買えないのではないかと、言われたのです。
恥ずかしいというより、負け犬は結構個性的なキャラが多くて、おへそが曲がっていたりするから、一瞬興味を持っても手に取らないということはありかもしれませんね。
でも「負け犬」自体を恥じているわけではないと思うんです。誤解されやすいけれど「負け組」とは違いますものね。負け犬は実は「勝ち組」なんですよ。その辺の微妙な意識が、「負け犬」の「負け犬」たるゆえんではないかと……。
このことについて、どう思われますか?とくに「負け犬」を自認している方のご感想を聞きたいと思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月22日 (木)

富本憲吉

世田谷美術館で「富本憲吉展」をやっていたので、見に行ってきました。
富本憲吉は、1886年、奈良県に生まれ、東京美術学校(今の芸大)図案科で、建築や室内装飾を勉強し、卒業後ロンドンに留学し、帰国してからは木版画、染色、刺繍、木彫、革細工など、さまざまなものに手を染めました。
分けてもバーナード・リーチとの親交を得て挑戦した陶芸で、高い評価を得、1955年、色絵磁器の技術で、最初の「人間国宝」の一人として認定されました。
以前から私は、富本憲吉の作品が好きでした。
他の日本の焼き物にはあまり見られない、精緻な格調高い柄行に惹かれました。
「四弁花連続模様」や「金銀彩の羊歯模様」の壺や飾箱は、その模様の描きこみの大変さをしのばせ、またどこか日本のものではないようなエキゾチズムをも感じます。
実際富本は、留学中にエジプトやインドなども訪問していて、またイギリスではアーツアンドクラフトにも接し、ウィリアム・モリスなども見たようです。
こじつけるわけではありませんが、その連続性や対称性が万華鏡と通じるものがあるような気がして、それは前にやはり世田谷美術館でイスラム美術展を見たときにも感じたことでした。
まあ、何を見ても万華鏡にこじつけてしまうのは、ちょっと問題あり。しかし、アートというものが、どれもどこかで共通性を持つと考えれば、それもあながち間違いではないかもしれませんね。(写真は、世田谷美術館の富本憲吉展のチラシから転載させていただきました)
01 02


| | コメント (0) | トラックバック (1)

« 2007年1月 | トップページ | 2007年3月 »