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2006年4月25日 (火)

鏡の妖しさ

光とともに万華鏡のもう一つの重要な要素である鏡について、少し考えてみたいと思います。
水に写る自分の姿を見て自己を認識したナルシスの例を持ち出すまでもなく、鏡は自分を知るための手がかりであり、自我の確立も鏡なしではあり得なかったと考えられています。
鏡はまた鑑とも書いて、人としての規範を表すものともされています。鏡が「姿」を映し出すものということから来ているのでしょう。日本の古い伝承物語に「大鏡」がありますが、これは歴史を映し出すという意味から来ています。
一方、鏡は不思議なもの、魔のものというとらえ方もされています。鏡に映ることはとても神秘的なものとされて、そこに人々はさまざまな想像を加えたであろうと思われます。大和の女王卑弥呼が魏の国の王より鏡を贈られたことからも分かるように、それははじめは祭祀の道具とされました。さらに神道や天皇制にとっても重要な役割を果たしており、「三種の神器」のひとつであることが、鏡に対する思い入れを立証しています。
外国に目を向けても、「鏡の国のアリス」をはじめとして、「白雪姫」などの物語にも登場し、ストーリーの重要な鍵となっています。
「鏡の国のアリス」は鏡のむこうにも世界があるという観念ですし、また、「魔」を示すという考え方もあったようです。鏡に一種、霊力を認め、鏡が割れると不吉と考えたり、鏡にカバーをする習慣もそこから来たものだと思われます。
さらに、「魔鏡」などというものも人間は考え出し、鏡への思い入れはとどまることがありませんでした。
万華鏡に人が魅せられるのは、そうした鏡への想いと無関係ではないような気がします。只でさえ不思議な鏡の映像が、想像とまったく違う形で現れる、しかもとても美しい、そんな現象を享受できるのがまた、覗くという行為で、その秘密めいた世界にはまってしまうのではないでしょうか。
ともあれ、妖しく不思議な世界の楽しみであることは、間違いありません。

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