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2006年3月26日 (日)

伝道が足りない

今まで展覧会以外で万華鏡のファンという人にお会いしたことはあまりなかったのですが、この間さるところでたまたま万華鏡の話になり、そこに同席していた方が「私大好きなんです。通販で買ったんですよ」って言われてびっくりしました。ソニーの通販でお買いになったそうです。ということは昔舘さんが手がけていたアメリカ製のものですね。
そして「自分が死んだときは、形見としてお友達にあげてほしいと思っている」とおっしゃるのです。なるほどな〜という感じ。そんなふうに想いを寄せてくれているなんて、とても嬉しく思いました。
私が「和の万華鏡」の話をしましたら興味を持ってくださって、今度の展覧会に来てくださることになりました。その少し後、旧友が電話をしてきて、万華鏡がすごく好きという人に会ったというのです。欲しいのにどこで売っているのか分からないとのこと、ぜひ、展覧会にいらしていただきたいと思います。
まだまだ伝道が行き届いていないのだな〜と思いました。
もっとも言葉は皆さんご存知です。カレイドスコープという言い方も。でも、実物を見ていないんです。もっともっと皆さんに見ていただける機会を増やして、その素晴らしさを分かって欲しいと思ったことでした。.

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2006年3月18日 (土)

100年のスパンを

私の事務所のすぐ近くに、「彩香」というギャラリーがあって、そこのオーナーとは友達です。アート&リビングと銘打っているように、生活の中で楽しめるアート作品を扱って、とてもセンスの良いお店です。5月1日(月)〜10日(水)、「和の万華鏡展」をそこで開催する予定ですが、今は私がご紹介した陶芸家の鈴木青宵さんの展覧会をしています。鈴木さんはまだ若い陶芸家ですが、遠州志戸呂焼きで主に茶陶を手がけて、大徳寺狐蓬庵の老師にも認められた方です。
鈴木さんとも万華鏡が取り持つ縁で、友人から茶入れに万華鏡を組み込んだ人がいるというのを聞いたのがきっかけで、その線をたどっていったらなんと辻輝子先生の映像を作っている溝口好晴さんがやはり映像を作っていて、その偶然に驚いた次第。ポーランドに持っていく作品の中に加えさせていただいたのでした。
その鈴木さんが言うには、万華鏡は100年先にも耐えられるのか?と。とくに中の鏡を固定するのに、スポンジを使っているけど、それが気になると。たしかに、おっしゃるとおりです。スポンジだけでなく、ミラー、オブジェクト、オイル、回転軸、すべて100年の単位で考えたら問題ありのことばかりです。万華鏡を世界に誇る工芸作品としたいならば、その辺のことをしっかりと考えていかなければならないと思いました。
2000年の歴史のある外側の意匠があっても、中の仕組みがヤワではどうしようもありません。そのことが180年前に作られたにも関わらず、万華鏡が骨董品としても芸術品としても残らずに、しょせん玩具として廃れてしまった原因かも知れません。陶芸や漆芸の方達が長いスパンで作品造りに対峙している姿勢を見て、万華鏡の世界もそうありたいと思ったのでした。

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2006年3月14日 (火)

匠との出会い

日本の匠とコラボレーションして万華鏡を作るという私の試みに協力してくださる方が二人現れました。お一人は七宝の世界ではもう大変なキャリアの方、もうお一人は漆の技を着実に磨いていらっしゃる方。どちらも女性ですが、ホントに頼もしいお二人です。
それにしても伝統工芸の技というのは実にすごいものだと思いました。とにかく手が込んでいる。七宝にしても漆にしても、細かい、そしてたんねんな繰り返しの作業、根気と集中力と継続する力。もちろんそれだけではありません。デザインや発想、そうしたもののすべてが相まって、一つの作品ができあがるのです。
しかも、ひとくちに七宝、漆といっても、さまざまな技法があり、アプローチの仕方は千差万別。それはそうですよね。どちらも2000年近くの歴史を刻んで今に至っているわけですから。そのうえに、現代のアーティスティックな発想や工夫を積み重ねる。
伝統工芸のこと、まだまだ知らないことがいっぱいで、万華鏡を通してそういう方と知り合えて、いろいろ教えていただけるので、ホントにありがたいと思います。
九谷美陶園の寺前さん、パリに続いてロンドン三越にも出すことが決まったそうで、やっぱり日本の文化が外国に受け入れられるという私の信念を裏付けてくれそうです。
そしてそれには、よい作品を生み出すこと、外国に出して胸を張れる、また、時代を経ても価値が変わらない、そうした作品であることが求められると思います。

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2006年3月11日 (土)

愛すべきもの

万華鏡の魅力ってなんなのか?ということが、よく話題になります。なにしろこれは、何の役にも立たない、実用性の全くないもので、この世にあってもなくてもいいもの。ま、絵とか音楽とか文学、詩、どれもなくても人間の生活には困らない。だけど、絶対必要なもの。つまり芸術というものはみんなそうであります。となると、万華鏡も芸術か? 
それほど大げさに構えなくても、とにかくある人たちにとって「愛すべきもの」であることは間違いないらしい。
いったい何を愛す?確かに映像の美しさ。これは独特のものですね。他のアート作品には見られない。幾何学的な模様が回すたびに動いて、それも永遠に連続する模様だったり、はたまた円形に回り続けるものだったり、それが2度と同じものを見られることがほとんどない、絶対ないとはいいませんが。
よく円形の映像について、曼陀羅と比較されて論じられることが多い。だけど、曼陀羅というのは本当はあんな風に完全な円ではないんです。でも、曼陀羅が表す世界、そこに共通性を感じるのかも知れませんね。
また、仏教では円は完全な無の境地ともされています。円形を形作る模様が永遠に輝いて、さまざまな色を放つというのは、妖しい世界ではあります。そこに魅せられるのかな?
あるお寺さんの若い住職さんが、この万華鏡の映像をプロジェクターに映して声明(しょうみょう)を低く流したらいいのではないかとやってみたところ、あまりにはまりすぎてちょっと怖いものがあると、おっしゃっていました。ウーン、けっこういっちゃいそうな感じですね。
声明もいいけど、私は万華鏡には音楽、と思っているのですよ。どんなんでも合いますよ。前にも書いたように、どちらも純粋芸術ですからね。
で、コンサートの時にバックに映像を映し出したら、目と耳と両方を楽しませてくれるのにと思うのに、今のところそうした試みはないんですね。プロジェクターのすごく精度のいいものか、あるいは単純に映写機で投影するか、やろうと思えば出来なくはないと思いますけど・・・。誰か試みてくださいな。

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2006年3月 8日 (水)

橘光学さんのこと

今日、橘光学さんが万華鏡を持ってきてくれました。昨年の世田谷未来博で出展された作品で、長さ約1m直径15cmぐらい、電動で、なんといってもアイホールが大きいのがいいです。それを我が事務所の万華鏡ディスプレイに置いて、道行く人がガラス越しに映像を見られるようにしようというわけ。
橘光学の橘さんは、私のことをまったくご存知ないのに、お電話でお願いしたらすぐに持ってきてくださいました。橘光学さんは日本有数のレンズ特殊加工技術を持つ事業所だそうです。万華鏡作りはお仕事とは離れて、愛知万博の「大地の塔」を見られて思いつかれたようですが、なにしろこんな近くに万華鏡を作ろうとしている方がいらっしゃるなんて、ほんとびっくりしました。
いろいろ技術的なことをご相談できるのではと心強く思います。
とりあえず来週から万華鏡コーナーに置こうと思ってます。皆さまの反応が楽しみです。

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2006年3月 4日 (土)

万華鏡と音楽との相関

ありふれたグッズの集合体で美しい映像を作り出す万華鏡は、音楽と似ています。音楽も単なる音の連なりが、あのような美しいものとなる純粋芸術だと思います。以前、ポーランドのときにご一緒した九州大学名誉教授で物理学者の蔵元先生が、音楽を美しいと感じるのは、ドミソという音の連なりが脳に働いて美しいと感じるからというので、万華鏡も同じ、ありふれたオブジェクトの集合があのように美しい映像を作るのだという私の持論をお話しさせていただきました。
またコンピューターでいくらでも美しい音楽が作れると思うけど、やはり人間の作ったものには叶わない、それは人間の方に「ゆらぎ」があるからだと先生はいいます。美しさというものは「ゆらぎ」から生まれるというお話に魅せられました。日本には「歪み」という美意識があります。完全ではないものに美を感じる日本の心と合わせ、「ゆらぎと歪みについての物理学的アプローチ」をしてもらったら、面白いと思いました。
また音楽が音の連なりだけでは限界があって、古典派によってほとんど完成型にまで高められてしまった音楽が、やがてロマン派の登場でメッセージ性を持ちはじめたように、万華鏡もストーリー性を持った作品がでてくるようになったのは必然と思えます。小嶌淳さんの作品などにその兆しが見える気がします。

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